朝ドラ らんまん 放映決定記念(3)浜辺美波 演じる妻「寿衛子」が夫を支えた意外過ぎる職業とは?

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浜辺美波さんが演じる牧野富太郎の妻「寿衛子」が家計をやりくりしていた意外な方法

▲「貧乏物語」の章では、その貧乏ぶりがうかがえます。

前のページで紹介したとおり、牧野先生の自叙伝「草木とともに」の中で、奥様の「寿衛子」さんが、陰になり日向になり、牧野先生を支えた様子が描かれています。

それだけきくと「健気な女性」というイメージがわきますが、以下の文章を見ると、少し違った寿衛子さんの様子が垣間見えてきます。

牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録 で寿衛子の仕事が「待合」であったことを告白

▲「待合」とは京都でいう「お茶屋」に相当するそうです。

牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録の中で、牧野先生は自ら、奥様が「待合」を経営することで、生活を支えていたことを告白されています。

待合とはウィキペディアによれば次のように紹介されています。

待合(まちあい)は、待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業(貸座敷とも呼ばれる)で、(東京などで)主に芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。京都でお茶屋と呼ばれる業態に相当する。(中略)(明治 ~ 昭和期の東京などを中心に)待合、料亭(料理屋)、芸妓置屋はいわゆる三業と呼ばれる風俗営業であった。待合の営業には警察の許可が必要であり、一定の指定区域以外には認められなかった。(中略)待合では客の宿泊用に寝具を備えた部屋があり、ここで芸妓や私娼と一夜を過ごす客も多かった。なお、芸妓と客の同宿はほとんど黙認状態であったが、売春が公認されていたわけではない。引用元:ウィキペディア「待合」
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自叙伝で告白している「寿衛子」の仕事の内容

自叙伝の中で紹介されている「寿衛子」の仕事の様子です。

今ここに聊いささか私が弁明しておかねばならん事がある。それは外でもないがこの待合は私自身が開業したものではなく、これは長谷川君のいわれた通り私の妻がやった事であって、その店は私とは世帯が別になっていた。故に私は待合の家には住まっていなかった。そしてこの事件は勿論今日の事ではなくて最早や今から二十七年も前の大正十年頃の出来事である。

引用元:牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録

私の妻が事もあろうに何ゆえこんな恥も外聞も構わぬ大それた芸当をしたのかというと、それは当時私一家が貧乏のどん底に陥っていたので早く金を得て焦眉の急を救い、我が家の経済を立て直さんとするのが唯一の目的であって、それには待合が一番早く金を得るのに都合がよいとの事でこれを選んだわけだ。

引用元:牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録

そして妻は素人ながらも待合業を経営するぐらいな天才的手腕は持合せていた。故に何の臆するところなく大胆にその業をはじめ、渋谷花柳界での荒木山に妻の姓〔別姓〕である「今村」の看板を掲げたのであったが、その後故あって廃業して仕舞い一場いちじょうの昔譚むかしばなしを今日に残したその妻も今は疾とく亡き人の数に入った。

引用元:牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録

牧野先生の妻「寿衛子」さんは、天才的な経営手腕の持ち主だったと告白しているのです。

そして「何の臆するところなく大胆にその業をはじめ」たということです。

「待合」とか「お茶屋」とかいうと聞こえは良いですが、端的にいえば「連れ込み宿」というわけですね。

この告白を見ると、健気に夫を支えるという姿とは、少し違った見え方がしてきませんか。

朝ドラ「らんまん」でどこまで寿衛子さんの本当の仕事を表現するのか?

▲「待合」の仕事まで表現するのでしょうか?

浜辺美波さんが演じる「牧野寿衛子」さんについて紹介してみました。

NHKの朝ドラで、なかなか「待合」をしてまで夫を支えた寿衛子さんを表現するのは、難しいかもしれませんね。

だけど、そこまでして支えてくれた女性だったからこそ、牧野先生は新しく発見したササに「スエコザサ」という名前をつけたのかもしれません。

いずれにしても4月の放送開始を楽しみに待ちたいと思います。

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