この数回は、令和5年4月からNHKの朝ドラで放映される予定の「らんまん」のモデル牧野富太郎先生について紹介しています。
今回は牧野先生の奥さん「牧野寿衛子」さんにスポットを当ててみます。
ドラマの中では、浜辺美波さんが演じます。
実は私は浜辺美波さんのファンであったりするので、今から楽しみです。
▲浜辺美波さんが主演を務めた「君の膵臓をたべたい」であまりの可憐さにファンになりました。
▲賭ケグルイでは「自分の殻をつきやぶった」ともコメントしていましたね。
陰ながら支えた妻「牧野寿衛子」さん
さてこの浜辺美波さんが演じる妻「牧野寿衛子」さんですが、牧野記念館の掲示などを見ると、「陰ながら支え続けた」と紹介されています。
陰ながら支えた妻「牧野寿衛子」さんに感謝をし、牧野先生が発見した新種のササに「スエコザサ」という名前を付けました。
このあたりのいきさつは、牧野先生の自叙伝に書かれていますので、引用して少し紹介してみましょう。
牧野富太郎の妻「寿衛子」への感謝の想いが自叙伝に
牧野先生の自叙伝「草木とともに」の中で、妻「牧野寿衛子」への想いが書かれていいる章があります。
「わが初恋」という章と「貧乏物語」という章、そして「すえ子笹」という章です。
わが初恋では寿衛子さんとの出会いと結ばれるまでの様子が描かれています。
以下は本文からの引用です。
私は人力車をとめて、菓子を買いにこの店に立ち寄った。そうこうするうちに、この娘が日増しに好きになった。その頃の娘は今とちがって、知らない男などとは容易に口もきかないものだった。
私は悶々として、恋心を燃やした。私が娘に話しかけようとすると、真っ赤な顔をしてうつむいてしまうのだった。
こうして、毎日のように菓子屋(※)通いがはじまった。(※寿衛子さんはお菓子屋さんの娘さんで店番をしているのを見初めたのです)
牧野富太郎 草木とともに 「わが初恋」の章より引用
明治の時代の恋愛ってこんなにもウブだったんですね。
真っ赤になってうつむく姿なんて、是非、浜辺美波さんに上手に演じて欲しいものです。
さて結婚したのちの生活の様子が、貧乏物語で描かれています。
「寿衛子」さんが貧乏生活の中で、贅沢をすることなく、懸命に夫を支えた様子が描かれています。
私の妻は、私のような働きのない主人に愛想をつかさずよくつとめてくれた。私のごとき貧乏学者に嫁いできたのも因果と思ってあきらめたのか、嫁に来たての若い頃から芝居も見たいといったこともなく、流行の帯一本欲しいと言わなかった。
妻は女らしい要求の一切を捨てて、陰になり、日向になって、絶えず私の力になって尽くしてくれた。
牧野富太郎 草木とともに 「貧乏物語」の章より引用
自分の妻が「女らしい要求を一切捨てる」なんて、今の時代ではちょっと考えられないですね。
そしてすえ子笹では奥様が病気で亡くなられたときの様子が短く描かれています。
短く淡々と描かれていることで、余計に大切な妻を亡くした、博士の寂しさを表現しているように思えます。
妻の墓は、今、下谷谷中の天王寺墓地にあり、その墓碑の表面には、私の詠んだ句がふたつ、亡き妻への長(とこ)しなえの感謝として深く深く刻んである。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
牧野富太郎 草木とともに 「すえ子笹」の章より引用
牧野富太郎先生の書かれたこの自伝を読むと、妻「寿衛子」さんは、贅沢もせず、ほしいものも買わず、質素倹約して、陰ながら博士の研究を支え、子だくさんの家庭(一番多いときで13人のお子さんが。ただし成人したのは7人だそうです。)を守った女性というイメージが浮かびます。
ところがですよ!
「牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録」の中では、寿衛子さんのもう少し別の顔が描かれているのです。
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